「社食無料からウェルビーイングへ」GAFAの福利厚生が激変した理由
アンバー・ブリッジ・パートナーズの奥本直子氏。社員のウェルビーイングを支援する米国企業が増えていると言う

「社食無料からウェルビーイングへ」GAFAの福利厚生が激変した理由

2010年代前半、米西海岸ではグーグルなどのインターネット企業大手による、手厚い「福利厚生」が注目を集めた。社食無料、スナック食べ放題、出張クリーニングに洗車サービス…。激しい人材争奪戦を勝ち抜くため、多くのネット企業が高級ホテル顔負けのサービスを競い合った。

それから10年。コロナ禍を経て、ネット企業の提供する福利厚生の内容が大きく変貌している。出勤がままならなくなった現在、各社が力を入れているのは、社員のウェルビーイング支援。心身の健康をサポートし、個人の働きがいや生きがいをどう支えるかが、社員をつなぎとめる大きなカギとなりつつある。

米国では「Great Resignation(大量退職)」時代の到来と言われ、再び人材の流動性が高まっている事情とも無縁ではない。変化の背景、そして日本への影響を、シリコンバレーを拠点にAmber Bridge Partners(アンバー・ブリッジ・パートナーズ)CEOとNIREMIA Collective(ニレミア・コレクティブ)ジェネラル・パートナーという2つの肩書きで活動する奥本直子さんに聞いた。

この画像のalt属性が入力されていません

――いわゆる、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム)と呼ばれるネット大手が、ウェルビーイングに力を入れているのはなぜなのですか?

この画像のalt属性が入力されていません

奥本 一言で言えば、社員の心理的な安全性を担保するということなのだと思います。

新型コロナウイルスによって在宅勤務などが増えた今、社員の多くが心身ともに不安定な状況にあります。

こうした環境の中で社員をサポートし、心理的な安心感を提供することで、会社へのロイヤリティを高めてもらうのが目的です。米国でも、コロナ禍で心身のバランスを崩している人は多いですから、ウェルビーイングへの取り組みはネット企業にとっても大きな課題になっています。

内面のサポートが必要な時代に

――従来の米国企業の社員向け支援策と言えば、無料の社員食堂や様々なサービスを受けられるといった、ハード的な面が多かったように思います。

奥本 そうですね。私が以前働いていたヤフーでも、キャンパスと呼ぶ広大なオフィスの敷地にバスケットボールコートがあったり、卓球台があったりしました。歯科クリニックや、美容院などもあって、社員がいかに日常の雑務に時間を取られないようにするか、手厚いサービスが提供されていました。

ただ、そうした状況は新型コロナによって大きく変わってしまいました。そもそもオフィスに出勤できなくなり、多くの社員は自宅で過ごす時間が増えています。ハード的な支援よりも、心身の健康などの、より内面的なサポートが必要だという考え方に変わってきています。

――心身のサポートとは、具体的にどのようなサービスを提供しているのですか?

奥本 アプリやソフトウェアなどのテクノロジーを最大限活用しています。例えば、GAFAなどに代表される大手ネット企業の中にはスマホのアプリなどを通して、社員の心身の健康状態を、本人の同意の下にモニタリングする取り組みをしています。

日々の状態を人工知能(AI)が解析し、例えば、社員の心身の健康が停滞している時には、アプリのAIボットが、様々な形でコミュニケーションをしてきます。「今日の調子はどう?」「あまり根を詰めないで、少し席を離れてあるきましょう」「ちゃんとランチをとりましょう」といった具合です。

こう書くと、とても機械的に聞こえますが(笑)、実際には科学的な研究を基にしてメッセージを出していて、より親近感がわきやすい設計になっています。

「水はちゃんと飲んでいますか?」「深呼吸をしてみて」といったように、誰かが寄り添ってくれているような感覚を演出して、状態が改善するかを見ていきます。もちろん、それだけでダメな場合は、カウンセラーとマッチングをしてそのカウンセリングセッションを提供しています。

この画像のalt属性が入力されていません

心理的な安全性を提供する

ポイントは、企業が社員のウェルビーイングをサポートすることにコミットしているという姿勢が大事だということです。仮に、アプリを使わなかったとしても、その企業で働く社員は、「自分たちのことを考えてくれている」という心理的安全性を得ることができます。

こうした会社に対する安心感が、ロイヤリティを生み、社員のパーフォーマンスの向上に貢献していくというわけです。結果的には会社の利益にも繋がります。ですから、GAFAに限らず、シリコンバレーでは、ウェルビーイングを支援するプログラムを用意している企業が増えています。

――そうしたプログラムを用意しないと、社員が長く働いてくれないという面もあるのですね。

奥本 そうですね。もともと、ウェルビーイング自体の機運の高まりは、新型コロナが流行する前から存在したとは思います。ただ、コロナ禍でさらに重要性が増したと考える企業は増えています。

シリコンバレーに限りませんが、優秀な人ほど、自分の生き方を軸に仕事をしています。友人の米国人は、大手不動産会社のエクゼクティブで、コロナ禍以前は猛烈に仕事をしていましたが、つい先日長年勤務した会社を休職して、イタリアに家族で移住していきました。以前からイタリアに住むのが夢だったからと言っていましたが、新型コロナによって「仕事よりも、自分と家族の人生を大切にしよう」という考えが決断を後押ししたと言っていました。

この米国人だけでなく、米国では今「Great Resignation (大量退職)」と呼ばれる、社員が自発的に会社を辞める動きが広がっています。米国の人は比較的自分の働き方を自分で決めるという人は多いのですが、新型コロナによって、より「自分のライフスタイルに合った働き方をしよう」と考える人は増えています。

この画像のalt属性が入力されていません

――人々の心境の変化に企業も対応が求められているわけですね。

奥本 そうですね。会社が社員の生き方を支援してくれる姿勢は大事になっていると思います。報酬はもちろんなのですが、「大変な時には会社が私をしっかりとケアしてくれる」という安心感があると、会社へのエンゲージメントは高まります。

反対に、そうした姿勢が感じられない会社では、いくら金銭報酬が高くても、社員が退職していくケースが起きています。こうした事情が、ウェルビーイングを大切にする会社が増えている背景に間違いなくあると思います。

企業は人格が評価されるようになってきた

もう少し大きな文脈で言えば、米国では会社の「人格」をより重視する人が増えてきたと言えるかも知れません。会社が社員や社会に対してどう考えているのか、明確なメッセージと行動を求められるようになっています。

端的な例が、昨年米国で起きた「Black Lives Matter」の運動です。警察官の黒人差別に対して、ネット企業が相次いで会社として「差別は許さない」という声明を発信しました。なぜなら、そこで働く社員が会社の姿勢を冷静に見ていると分かっていたからです。

こうした社会問題に鈍感で、何もメッセージを発信しなかったり、対応が遅かったりすると、社員は簡単に離れていきます。サービスを利用するユーザーにすら影響を与えます。それほど、会社の姿勢や考えが注目される時代になっているのです。

この画像のalt属性が入力されていません

――ウェルビーイングを大事にする世代が増えてきたことも、変化の背景にありますか。

奥本 いわゆるミレニアル世代やZ世代と呼ばれる人たちが増えてきたのは大きいでしょう。彼ら・彼女らは、「自分らしく生きる」ことに対する感度が非常に高いと感じます。

例年1月に、スイスのダボスで開催する世界経済フォーラム(通称「ダボス会議」、今年はオンライン開催)があるのですが、デロイトグローバルのプニート・レンジンCEO(最高経営責任者)の講演が印象的でした。デロイトは、世界に約30万人の社員がいるそうなのですが、その8割近くが既にミレニアルとZ世代だそうです。

そして、社員に実施した調査結果に、レンジンCEOは衝撃を受けたと話しました。調査では、「あなたにとって一番大事なものは何ですか」と聞く質問があったのですが、ミレニアル・Z世代でトップになったのは、「ウェルビーイング」だったそうなんです。

彼はてっきり、出世することや金銭的な報酬、あるいは社会的な地位が上位に来ると思っていた。なぜなら、彼自身がそうだから(笑)。でも、今の現役世代は全然違うと。どうすれば彼らのモチベーションを高められるのか、大いに慌てたそうです。

レンジンCEOはダボス会議の場では、米セールスフォース・ドットコムや英HSBC、蘭ユニリーバといった大手企業と組んで、企業としてウェルビーイングにどう取り組めるかを議論していくと話していました。

彼の意見はとても素直ですが、私個人としてはこの感覚のギャップは世界中で起きている気がしています。ミレニアルより上の世代から見たら、「ウェルビーイングって一体何だ?」という感じですが、実際の社会は、既にそういう考えの人たちがマジョリティーを占めつつある。働く人の意識は既に大きく変わっていると思います。

ユニコーンが続々誕生

――こうした変化は、シリコンバレーのスタートアップの動きにも影響を与えているのですか?

奥本 はい。例えば、冒頭に紹介した健康状態をモニタリングするサービスは、Happifyというスタートアップが提供しています。ウェルビーイングのB2Bソリューション企業として2012年に創業しましたが、今やユニコーンです。

この画像のalt属性が入力されていません

他にも、質の良い睡眠と瞑想のためのガイダンスのアプリを提供するCalmは5年前の評価額6億円から現在は2500億円と、367倍になりました。心理的なアプローチとコーチングで心身共に健康的な生活習慣を身につけるためのアプリを提供するNoomは5年前の評価額100億円前後から現在4000億円。

今も次々とウェルビーイングやウェルネス・テクノロジーのスタートアップは生まれていて、市場規模は約400兆円に達すると言われています。

私自身もベンチャーキャピタリストとして、ウェルビーイングテックの起業家と会う機会が多いのですが、数年前に比べて、現在は企業向けサービスを提供するスタートアップが一気に増えた印象です。ネット大手がウェルビーイングに力を入れ始めたこととも大いに関係があると思います。シリコンバレーではこの動きがさらに加速するでしょう。

――日本にもその流れは広がってきそうですか?

奥本 文脈は違いますが、日本でもウェルビーイングの重要性は高まっていくと思います。

今、日本の雇用環境は大きく変わっていますね。大手であっても終身雇用や年功序列といった伝統的な雇用システムが曲がり角を迎えていて、「自分のキャリアを自分でデザインしましょう」といった機運が高まっています。

けれど、これまで自分の人生を事実上会社に預けて、会社と共に成長してきた人にとっては、急にハシゴを外された感覚になっている人も少なくありません。会社組織の一員としてやってきたのに、急に自分ですべて考えろと言われても、何をすればいいか分からないと不安な人は多いと思います。

けれども、今は、YouTubeやラーニング・プラットフォームなどのテクノロジーを駆使すれば、個人として成長できる機会はいくらでもあります。学びたい項目について検索をすると、さまざまな学びのツールがオンライン上で提供されています。意欲さえあれば、自ら学べる時代になっています。

この画像のalt属性が入力されていません

自分を主語にして生きる時代

自分の生き方を決めるのは、幸せになろうとする意志がどれだけあるかだと思います。それは会社から与えられるものではなく、自分の選択次第。ですから、個人的には自分を主語にして生きることが大事だと思います。

誰にでもさまざまな事情や外的要因はあるでしょうが、幸せや成長を自分の手で掴み取っていく心意気さえあれば、次の一歩を踏み出すことが出来るのではないでしょうか。

自分の人生にオーナーシップを持とうと考えた時、ウェルビーイング・テクノロジーはとても役立ちます。健康的、精神的、社会的に満たされ、より自分らしく”最高の真の自分”になることを目指す人々のためのよき”伴走者”のような役割を担っていくのではないかと思います。

社会システムは簡単に変えることができませんから、日本の安定した雇用システムはもはや戻ってこない可能性が高いでしょう。であるなら、自分のやり方で道を開いていこうと考える方が、幸せに生きられるかも知れません。そう気づいて行動する人も増えているように思います。

この画像のalt属性が入力されていません

――日本企業も、変化への対応を迫られることになりそうですね。

奥本 戦後76年が経ち、今では人生100年働く時代と言われています。同じ会社で定年まで働く社員はどんどん減っていくでしょう。どうしたら社員が前向きに、そしてハッピーに生きがいを持って仕事ができるか。真剣に考える必要があると思います。

面白いのは、ウェルビーイングを追求すると、「成功して幸せになる」のではなく「幸せだから成功できる」という考え方を受け入れられるようになることです。これからの会社は、まず利益ありきではなく、社員の働く満足度を高めることを優先することが、大切になっていくのではないでしょうか。

企業文化を変えることは簡単ではありませんが、経営理念の根幹にウェルビーイングを据える企業や、ウェルビーイング・テクノロジーを提供するスタートアップが、今後も増えていくでしょう。私自身、人々が少しでも自分らしく生きられるウェルビーイングな世界を共創すべく、この流れに貢献したいと思います。

—聞き手は 蛯谷 敏(Satoshi Ebitani)、写真:Getty Images、奥本氏提供

この画像のalt属性が入力されていません

奥本さんが語る、ウェルビーイングの胎動。あなたはどう感じましたか?是非コメント欄に感想をお寄せください。奥本さんのアカウントもフォロー下さい。 

中山 洋樹

メンタルコーチ、コンストラクションクリエイター:人に関わる様々な結びつきをデザインする(ライフサポーター・カウンセラー・メンタルコーチ)

2年前

「社会システムは簡単に変えることができませんから__幸せに生きられるかも知れません」の(文中より抜粋)一文はそれ「自らの人生と覚悟を持って対峙する事が必要ではないか」と投げかけられているように感じます。自分の状況や持っている特性を踏まえつつ、社会構造や情勢とのバランスを取りながら生きる。「生き抜くチカラ」を取り戻す事なのかも知れませんね。 🤔

いいね!
返信
安楽 啓之

技術士(情報工学部門),公認情報システム監査人(CISA)

3年前

とても面白い記事を読ませていただきありがとうございました。 ウェルビーイングという言葉と若干意味が違うのかもしれませんが、自己実現に重きを置いている人は着実に増えていると感じています。 将来を考えた時に、「自分が主語になる」というのも確かにそうですね。私はマズローの要求5段階説がこれにはうまく当てはまるのかなって考えていて、これをベースに考えた場合、生存、安全、所属の欲求からより高次の承認欲求や自己実現の欲求に軸が切り替わってきていることなんだろうと思っています。 ここにその人のスキル、人との関係性、行動力などが組み合わさると人生には選択肢が登場し、結果として人の流動性が生まれそうな気がします。この動きは個人に端を発するボトムアップでの動きとなることから、機が熟した瞬間に大きな動きになるんじゃないかなと感じました。 日本でも選択肢を持っている人は自己実現ができる仕事へと流動することは可能になると思っています。 さらにいうと、この時にポイントになるのが人生の主人公である「個人」にとってのステークホルダーは誰なのか?それはなぜなのか?ということなのかなって気がします。エンゲージメントが高い企業は「個人」にとってのステークホルダーにその企業が入っているんだろうなと思います。そこに必要なのはきっと共感なんだろうなと思いました。 ありがとうございました。

いいね!
返信

日本の大企業は大体 Fear-being ですね。自由もなく尊厳もない場所で、恐怖政治に耐えながら目立たず生きるのが大事。

いいね!
返信
野上 英文

編集者、著者、Podcastパーソナリティ| MIT Sloan Fellow MBA | 元朝日新聞記者|『戦略的ビジネス文章術』

3年前

どちらが鶏か卵か別にして、個人や社会の価値観の変化に、会社が変化できるか。興味深く読ませていただきました。また、BLMへの対応で「何もしない」ことが企業のマイナスイメージさえ引き起こすというのは、「黙っておいたほうが得」という社会とずいぶんと差がありますね。

Atsuki MITSUYORI

Founding COO/CFO of SOXAI Inc.

3年前

興味深い記事をありがとうございます。 Well-beingは重要だと認識されている一方、まだまだ漠然としている概念ですので、客観的に/定量的に測定可能になると一気に加速しそうですね。 記事の内容について1点質問させて頂いてよろしいでしょうか。 GAFAはアプリやソフトウェアを用いて従業員の健康状態をモニタリングしているとありますが、具体的にどのように実施しているかお分かりでしょうか。スマホカメラによる測定なのか、ウェアラブルデバイスを活用しての測定なのか。

コメントを閲覧または追加するには、サインインしてください